2018年12月 のアーカイブ

先週のテレビは高野山高校ウィークでした。

2018年12月18日 火曜日

南嶺祭「学園祭」における本校職員の出し物「USA」のダンスパフォーマンスの様子をツイッターに載せたところ、テレビ局が注目し、多くの局で取り上げて放映されました。まず、USAがブームであること、忘年会の余興で踊る向きがあること、更に本校のある職員が足を痛めたことなどが、タイムリーだったのでしょう。NHKでは足を痛めた職員へのインタヴューもからめていました。足を傷めない対策や医学的見地からの医師のアドバイスも加えていました。放映の状況は以下の通りです。12月11日 フジテレビ 「めざましテレビ」、12月12日 NHKテレビ 「しぶ5時」、12月13日 TBSテレビ「ビィビィッド」、12月14日 フジテレビ「グッディ」、12月15日 フジテレビ「めざまし土曜日」といった具合です。驚きました。宣伝費に換算すれば、かなりのものなんでしょうね。

本校学園祭教員の出し物「USA」が放映されました。

2018年12月11日 火曜日

12月11日午前7時ちょっと過ぎにフジテレビめざましテレビで本校の学園祭で教職員が演じた「USA」が放映されました。結構長い時間でした。ツイッターに載せたものがテレビ局のディレクターの目に留まったようです。タイムリーでしたね。ずいぶん人気ですし、忘年会の出し物に取り上げる向きもあるのではないでしょうか。医者も登場して足の筋などを傷めないように注意を促していました。明日はNHKのしぶ5時で取り上げる予定ですのでよろしかったら、ご覧ください。

12月8日、本校物故者追悼法会が厳修されました。

2018年12月10日 月曜日

毎年、恒例の行事でして今回は法会に加えて公開授業、体験入学・体験入寮が合わせて行われました。僧分の私とすれば、11月中旬から法会のことがずっと頭に引っかかっていました。習礼つまり法会の練習を11下旬から12月上旬にかけて4回ほど行いました。法会前日の習礼は本番通りの衣体をつけて本番通りに始めから終わりまで通してシュミレーションを行いました。職衆は宗教科の生徒15人です。中曲理趣三昧の形式で行いました。ちなみに入堂から退堂までのメニューを示しますと、専門用語ばかりですが、云何唄、散華、対揚、唱礼、前讃、理趣経、回向文、後讃、回向、回向伽陀、唱名礼といった具合です。職衆の生徒と導師である私とのコラボレーションというわけでして、要所要所で生徒と合わせなければならない場面があるわけです。登壇して金二丁打ったら云何唄を発音しますので、うっかり忘れると法会が進行しないということになります。「発音」は仏教読みでは「ほっとん」となります。散華、対揚を生徒が唱えている間に私は表白を微音で唱えます。柄香炉と数珠を左手に持ち、決められた句のところで金一丁を打ちます。その後、理趣経の「味清浄句」のところで振鈴に入ります。で、まあ、いろいろな所作、声明がありまして、下礼盤して称名礼を一緒に唱えて終わりとなります。所要時間1時間30分でした。肉体的というより神経がピーンと張りつめていますので精神的に疲れますね。疲労困憊と言ったところです。宿舎に帰って入浴し、食事を取って、あとはバタンキューです。一つの仕事を成し遂げたという満足感は当然、あります。あと、もう一回大事な法会があります。来年2月9日に奥之院燈籠堂で行われる「えひめ丸追悼法会」です。今年の同日の奥の院は氷点下13度だったことを鮮明に記憶しています。法会の後、宗教科の生徒達は廟前の玉川に入って水行をしました。見ているだけで震えあがりました。

11月3日に行われた南嶺祭「学園祭」の教師の出し物がテレビで放映されます。

2018年12月10日 月曜日

今はやりのUSAのダンスパフォーマンスが以下のテレビ局で放映されます。ちなみに私は出ていません。12月11日フジテレビ系のめざましテレビの6時30分ないしは7時です。もう一本は12月12日NHKの「しぶ5時」です。なぜ注目されたのか定かではありません。今年の忘年会あたりではやるのでしょうか。お暇な方はご覧ください。

住職在任50年表彰を受けました。

2018年12月6日 木曜日

本校校長と山梨の自坊の住職の二足の草鞋を履いておりますが、住職の方で表彰を受けました。住職在任50年と30年が表彰対象です。50年の対象者が17人、30年の対象者が54人でした。表彰式参加者は前者が5人、後者が25人でした。都合が悪くて参加できない人もいたでしょうが、高齢や体調不良で参加できなかった人もかなりいたのではないでしょうか。知り合いの住職も何人かおりました。管長猊下から感謝状をいただき、感激いたしました。記念写真のあとはお斎をいただき、参加者と懇談いたしました。私は現在、71歳ですから、21歳の時に住職に就任したということになります。先住が早く亡くなりましたから、この若さでということになります。西も東も分からず、寺の役員は私の祖父くらいの年齢ですから、私など小僧っ子扱いでした。その後、教員に採用され、今度は住職と高校教師の二足の草鞋を履くこととなりました。公務と法務の板挟みになり、悩んだものです。修学旅行とか、スキー教室といった時には決まって葬式が出るのです。熱海に職員旅行に行って温泉にも入らず、帰ったこともありました。晋山した寺は荒れ果てていて部屋の中から空が見えました。天井からは屋根材の藁がバラバラと落ちてきます。雨が降ると壁を伝って雨が漏りました。天井裏は蛇や蝙蝠の巣になっていました。その後、50年、檀家さんのご協力を得て少しずつ手を入れ、雨漏りのひどかった屋根も銅板葺きにすることができました。庭の手入れも行い、見違えるように整備されました。檀家さんや参拝者からきれいになりましたね、京都のお寺のようですねと褒められることがあります。50年は過ぎてしまえばあっという間ですが、振り返ってみると感慨深いものがあります。今、ほぼ私の仕事は終わったかなと思っています。校長の人気が後3年ありますから、浅学菲才の私にどこまでできるか分かりませんが本校の発展のために全力を傾注する決意でいます。好きな学校ですから・・・。